2011年12月04日

記憶を形に

船を残すって、邪魔さや悲惨さを払拭するのはかなり厳しいと思いますが、
http://news.nifty.com/cs/domestic/societydetail/yomiuri-20111203-01004/1.htm
こういうのであれば、アーティスティックに再出現させることは、共感を得やすそうですね。


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2011年11月26日

東北学生ボランティア報告No.3

こんにちは
大分、間が空いてしまいすみません。第3回のアップです。

1週目のメンバーが唐桑、小泉(瓦礫撤去・避難所炊き出し)、登米ボランティアセンター(配達業務・足湯)の5種類の仕事場に別れた後の詳しい報告です。

まずは唐桑(からくわ)です。
■場所:唐桑
太平洋に面し漁業を主な産業とし、牡蠣の養殖が盛んな地域です。岩手県陸前高田市との県境にあたるため登米ボランティアセンターから車で2時間程かかります。そのため出発は朝6時、帰りは遅くなると途中で復旧車両の渋滞に巻き込まれることもあります。
■作業内容:牡蠣の種付け
現地に拠点を構えるボランティアの方たちと合流して、地元の漁師さんたちのお手伝いとなりました。種付けは、筏から海中へ吊るすロープに牡蠣の赤ん坊をくっつけます。なかなか根気のいる作業で、漁師の方達を見習っておしゃべりしながらすると、テンポ良くできたようです。本来は6月にするこの仕事、8月までずれ込み養殖をする漁業者はどこも手が足りていません。
お昼は漁師さんにご馳走して頂き、地域の歴史・津波のこと、去年の漁のこと、子供の学校のこと、お父さんが遠洋船に乗ったことなど気さくに話してくださり、こちらが元気を頂くような体験だったそうです。

次に小泉です。
■活動場所:小泉(瓦礫撤去)
IMG_0818.jpeg

登米と唐桑の間に存在し、ここもまた海沿いの地域です。海岸から続く平坦な土地の中でも、入り組んだ山の斜面に面したところに車を停め作業をしました。斜面には松の木が生えていますが、下の方は海水の塩分で立ち枯れた茶色い葉が印象的で、辺りには壊れてしまった家の基礎に道や蔵、流れ着いた橋などが目につきました。
■作業内容:瓦礫撤去
重機が入って瓦礫の撤去をしているのですが、重機にできないことがあります。それを人力で行います。1つは重機では取りきれない細かなもの、これを集めて分別し、大きくまとめます。もう1つは重機が入れない斜面の林に溜まったもの、これを斜面の下に降ろし、重機で作業できるようにします。
午前と午後に分けて作業内容を変更しました。作業をしていると写真やノートなど住民の方にとって大切なものが見つかります。また、足場が危ないこともあり、作業に注意が必要でした。

■活動場所:小泉(避難所炊き出し)
■作業内容:炊き出し
小泉の避難所では当初150人近く避難している方がいらっしゃったそうなのですが、現在では40人近くまで人数が減ってきました。しかし5ヶ月以上たった今でも、未だ仮設住宅への入居が決まらないという現実がそこにありました。
作業内容は、そこで生活している方たちのための夕食づくりです。
最近では、炊き出しを始めた当初よりもスーパーなどで材料が調達することができるようになってきたために、メニューを相談して決めたり、お母さん方に手伝ってもらうなど一緒になって活動している姿が印象的でした。

 最後に本拠地、登米です。
■活動場所:登米ボランティアセンター(配達業務)
IMG_0765.jpeg
■作業内容:配達業務の情報整理
3月からデリバリーとして、車など移動手段がない個人のお宅に届けていた救援物資配達業務なのですが、緊急を要するものが減ってきたということで、7月いっぱいで配達は終了。今まで行ってきた配達先の方々の情報整理(いつ、何を配達したのかなど)を行いました。
配達物の中には、これからの就職のために役立てたいなどの理由でミシンなどもあり、住民の方の生活と密接に関わっているということが分かりました。しかし、それと同時にどこまでやるのかという線引きも難しいようでした。やり始めるときりがなくなってしまうのも事実であるため、日々話し合いが行われていました。

■活動場所:登米ボランティアセンター(足湯)
■作業内容:足湯作り
我々メンバーが5日間過ごした鱒淵小学校の体育館は、ボランティアの方々用。校舎は避難所として使われているものでした。そのため、生活している人たちとの交流の場として、薪でお湯を沸かして足湯作りを行いました。
お茶を出しつつお話を伺っていると、8月4日は、登米RQが拠点にしている体育館の隣の校舎に避難されていた南三陸町の方々が仮設住宅に引っ越しされる喜ばしい日でした。
けれどその一方で、今まで近かった人との関係を絶やしてしまわないか。活動を続けることの大切さを再認識させられました。
これまでボランティアというと、力仕事を真っ先に考えていましたがそれは一部分である、ということを今回実感しました。
IMG_0889.jpeg
 このように学生達はボランティアに参加したことで、各々感じること実感したことがあったようです。事務局の立場からのブログアップですが、現場を見てきた彼らの思いは、まとめる際でも削りがたく、言葉が多くなってしまいますが出来るだけそのまま載せていきたいと思っています。
 これからも活動報告を見守ってくださいますよう、よろしくお願いします。
posted by 311foro at 23:59| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月18日

活動提案1

メンバーの更田です。
これまで「311サポート・フォロ」4回の開催で、いろいろな方に被災地の現状や活動報告をしていただき、大変参考になり感謝いたしております。
今後も、同様の報告を期待しておりますが、そろそろ、当フォロとしても現地での支援活動として、具体的に何かできないか・・考えていければと思っております。
その一つとしまして、前回のフォロでも提案いたしました、
「負の遺産をアートとして捉えて現地に残していく方法」
について、自分なりに考えつつ少し調べてみました。

当フォロ第1回におきまして、更田チームによる被災地視察報告をさせていただきましたが、その中の気仙沼「鹿折唐桑地区」の映像(4/26撮影)と比較参考になる、
半年後の映像(10/3撮影)がネットにアップされております。
この両方の映像に映っている「第18共徳丸」(巻き網漁船330トン)は、気仙沼漁港から500mのJR鹿折唐桑駅前まで流されたものですが、私はこの船を震災の負の遺産として現地に留めておくべきと考えております。しかし、ただモニュメントとして放置するのではなく、「記憶に留めていくためのアート」として捉えていく必要があろうと思っています。
また、そのことと同時に、それが地元の方々に歓迎されるのか否か、慎重に検討されなければなりません。

これに関する記事が、産経ニュース2011.6.17
・・宮城県気仙沼市の菅原茂市長は17日、東日本大震災の津波で内陸に流された漁船「第18共徳丸」をモニュメントにして、周辺地域を復興記念公園にすることを検討していると明らかにした・・と掲載されており、
河北新報社2011.10.21の「焦点/災害遺構、撤去か保存か/揺れる被災地」という記事の中では、
・・精神科医の野田正彰関西学院大教授は「震災の恐ろしさだけを残すのは、人工的にフラッシュバック(のきっかけ)を作るようなもの。震災後に人がどう立ち向かい、どう生き抜いたかを芸術的な要素も取り入れて表現する保存を望みたい」と話している・・
といった、見解も紹介されております。

また、10月7日に策定されHPにアップされている「気仙沼市震災復興計画 防災体制の整備」の中に
・・全国民が被災の実状を共有し将来にわたる防災の理念をはぐくむため、震災の記憶を伝承する国立鎮魂の森及び震災復興・防災記念公園の整備を促進します・・
とうたわれております。

以上のようなことからも、「第18共徳丸」をモニュメントとした周辺地域を復興記念公園とする計画ついて、さらに具体的な情報収集しながら各機関との連携をとることができるのか・・など検討してみてはどうかと思っているしだいです。
皆さんにも、上記の内容をご検討いただき、いろいろなご意見をお聞かせいただければ幸いです。
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宜しくお願いします。

posted by 311foro at 13:24| Comment(0) | 会議 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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